どうせなら明るい障害者

発達障害で躁うつ症です。基本独り言日記。障害を持っていても『こうすれば出来ないと思っていた事が出来た』と感じた事や出来事、自分なりに試したりやってみた事、その経過や結果を伝えられたら良いかなと思っています。

座談会資料5 幼少期・学生時代

座談会資料いよいよ5番まできました。
ここまでお読みいただいている方、ありがとうござます。
いよいよ座談会資料公開3/4位の進行具合です。
当日は、1時間半予定の座談会でしたので、途中休憩時間をいただきました。
(うろ覚えですが、座談会資料3終了後だったと思います。)
 
それでは、今回は私の「幼少期・学生時代」についてです。
 
⬇︎⬇︎以下座談会資料⬇︎⬇︎
 
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幼少期、学生時代ですが
(スライド)
幼少期はとにかくよくしゃべる子だと言われていました。
何を話していたかはあまり記憶にないのですが、思いついたことをそのまま延々と話していたように思います。
近所の方からもずっとしゃべっているといわれていたようで、親からよくそのことを言われていました。
私が黙っていると、どうしたの?体調でもわるいの??とい言われるくらいでした。
(スライド)
小学校はイジメにあってしまい6年間不登校であまり登校していなかったので、
学校は月数回通う程度で、家で好きな本を読んだり、放課後は近所の友達と遊んだりしていました。
ただ、当時からよく物をなくすことは多く、学校で必要なものを親が何度も買ってくれるということはありました。
よく無くしていて記憶にあるのはコンパス、三角定規です。
無くした理由なんですが、物の定位置を決めず、あちこちに置きっぱなしにしていたからだと今は思います。
帰ってくるとランドセルの中身を出すのですが、学習机やテーブル、とにかく定位置を決めずに色んな場所に置いてしまい、自分でもどこに置いたかわからなっていました。
さらに学習机の上も引き出しの中もぐちゃぐちゃだったので、置いてしまうとどこに行ったかわからなくなっていました。
無くすたびに親に怒られるのですが、反省はしつつ、自分はなぜなくなるのかわからなかったので、無くなることを不思議に思っていました。
さらに酷いことに、遊びに来た友達に盗られたのかもしれないと思ってしまい、親にそう伝えていました。
今思えば、私が無くしていたと思うので、とても申し訳ないことをしてたと思います。
当時ほしかったフォローとしてはまず整理する、物の定位置を決めるという概念がなかったので、親に整理の仕方、物を定位置に置くことを教えてもらえたらよかったなと思っています。
(スライド)
中学時代は忘れ物が多く、先生から学年で一番忘れ物が多いといわれるくらいでした。
小学校でもそうだったのですが夏休みの宿題は後回しでした。
夏休みが終わっても宿題が終わってない状態で、始業式が終わると焦って宿題をしていました。
ADHDの後回し癖がすごくよく出ていたと思います。
後回しになっていた理由なんですが、まずスケジュールをたてようと思えませんでした。
立てようと思うこともあるのですが、終わりまでの見通しを立てることができませんでした。
そうしてるうちに「後でやればいいか」「遊んでからやろう」「明日やろう」などとどんどん後回しにしていってました。
結果「もっと早くやればよかった。なんでできなかったんだろう?」と後悔していました。
そして次はもっと早くやろうと思うですが、また同じことを毎年繰り返していました。
 
今思えば、親や先生に相談してどうすればスケジュール管理ができるか?など考えてもらえばよかったと思います。
(スライド)
高校時代は先ほどもお話したのですが、アルバイトをしていてミスが多かったです。
学校でも忘れ物はやはり多かったです。
友達によく目の前を通っているのに無視しないでよ!と言われていたんですが、自分では全く気付いていませんでした。
そのほかにも、話に夢中になり赤信号を渡ろうとしてしまったり、車が来るのに気付かないで友達が引っ張ってくれることもよくありました。
今思うとADHDは一点集中で周りがよく見えなくなるので、そのせいだろうと思っています。
 
⬆︎⬆︎以上座談会資料⬆︎⬆︎
 
では、次回座談会資料6公開予定です。